黒いカバンの女は止まることを知らない。
電車に乗った。座って雑誌を読んでいた。
いくつか目の駅で、白い上着の女が乗ってきて
すぐ斜め前に背を向けて立った。
黒いやや大きめのカバンを持っていた。
世界のどこかでは意味をもっていそうな柄のカバン。
女の黒いカバンが読んでいる雑誌にぶつかってくる。
席は埋まっているが混んでいると言うにはまだ余りがあった。
電車はそれほど揺れているわけでもない。
飲み捨てられた缶カラも転がらない。
何度も何度もカバンが雑誌にあたってくる。
カバンの持ち主は何やら動いている。
あるいは持ち主はカバンに動かされてるのかもしれない。
世界のどこかの不思議な力で。
とにかく持ち主はカバンがあたってることを知らない。
黒いカバンの女は止まることを知らない。
次第に肩にも腕にもカバンは向かってきた。
座っていることの引け目は、
たったその程度のことだとあきらめるのに十分だった。
突然、正面にいたサラリーマンであるための背広を着た男が、
女の黒いカバンをグイッと引っぱった。
邪魔になっていることに注意を促(うなが)したのだ。
二人の関係が気になった。
なにより、あの乱暴さ加減は気のおけない同士のものだ。
恋人同士か。同僚か。わからない。彼らは一切話すことしていない。
女はカバンを抱えこみ、比較的邪魔にならないコチラ側を向く。
オッサンだった。女は女ではなかった。
やはり黒いカバンの女は止まることぐらい知っていた。
白いジャンパーのオッサン。背広の男。
目的の駅に着いた。電車を降りた。
背広の男もオッサンも降りた。
彼らは全く別の方向へ向かった。
みんな他人同士だった。
誰かが絵柄の違うパズルのピースを
無理矢理はめ込んだ気がした。